ヒストリー

中尾製作所社史 ~屋内の動きあるところに中尾あり~

大正時代

鍛冶金物の産地で養った
モノづくりの精神

中尾製作所の歴史は、初代・中尾栄一が大正時代に知多半島の大野谷へ金物技術の修行に出た時から始まります。大野谷は常滑市と知多市にまたがる地域で、平安時代から鍛冶職人が数多く住まう場所でした。江戸時代以降は農機具をはじめ、家具金物の生産地として全国に知られるようになります。この地で師匠達に学んだ金属を成型する技術と、道具を丹念に手入れし、基本を大切にするモノづくりの精神は、大正14(1925)年に栄一が設立する「中尾製作所」の根幹として息づき、現在まで引き継がれています。

中尾の歩み

1920年代~ 初代・中尾栄一が知多半島の大野谷に修行へ出る。
1925(大正14) 三重県津市にて中尾製作所創業。家具用金物を製造販売。

社会の動き

1923(大正12) 関東大震災
1925(大正14) ラジオ放送開始 治安維持法成立

昭和初期

修行時代の仲間とともに
商売を確立

出身地である三重県津市に戻り「中尾製作所」を開いた初代・中尾栄一は、嫁入り道具の必需品だった桐ダンスの蝶番や引手、金飾りなど、家具金物作りを精力的に始めます。販売面では金物商社を営む修行時代の仲間が栄一の力になってくれました。丁寧な仕事ぶりで評判を呼び、中部地方だけではなく、当時、金物産業の中心だった大阪にも「中尾の金物」は出回るようになります。昭和9(1934)年には地元の鉄工所と協働で、金属を伸ばしてタンスの引手を成型する機械「スエージングマシーン」を作成。多い時で月に何十万本という引手を生産し販売しました。

スエージングマシーン

中尾の歩み

1934(昭和9) 家具引戸用設備スエージングマシーンを導入。

社会の動き

1927(昭和2) 東京で地下鉄開通 ジュネーブ軍縮会議
1929(昭和4) 世界恐慌が始まる
1932(昭和7) 満州国成立

戦時中

本業を停止し軍需品を作る

日中戦争に続き太平洋戦争がはじまり、戦況が激化してくると中尾製作所にも軍靴の足音が聞こえてきました。主力商品である桐ダンスの飾り金物が贅沢品として見られるとともに、金物に使用していた真ちゅうや銅などの供出が命じられます。資材を購入できなくなった中尾製作所は軍需工場の下請けとなり、銃弾の薬きょうなどを生産するようになりました。1945年に度重なる空襲(津空襲)によって津市の市街地はほとんどが焼失。中尾製作所も全焼し、終戦を迎えます。

中尾の歩み

1943(昭和18) 金属材料が戦争のため購入不可となり松下電工株式会社の下請け工場となり軍需品を製造する。
1945(昭和20)

社会の動き

1937(昭和12) 日中戦争
1938(昭和13) 国家総動員法公布
1943(昭和18) 大東亜宣言 学徒出陣が始まる
1945(昭和20) 広島・長崎に原爆投下 終戦

戦後・昭和20~30年代

本業を再開し復興に尽力

終戦後すぐに栄一は子供や従業員らと力を合わせ工場を再建。家具金物の生産を通じて日本の復興に尽くしました。昭和24(1949)年には中尾製作所を株式化し、経営と生産体制を整えます。当時の主力商品は仏壇用の蝶番です。きめ細やかな加工とヒンジの動作性を追求する姿勢が業界内で認められ、ピーク時には月に100万枚も出荷されました。日本が敗戦からの復興を遂げ、経済大国への道を歩み始めた昭和30年代、中尾製作所でも栄一の長男が後継ぎとして家業に加わるなど若い人材も増えていき、新たな段階へと進むことになります。

家具引き出釻

中尾の歩み

1946(昭和21) 本社工場を再建。本業である家具金物製造業を再開させる。
1949(昭和24) 資本金50万円で中尾製作所を法人化。
1961(昭和36) 鍍金工場と本社工場を増築する。
1963(昭和38) 資本金を1000万円に増資。

社会の動き

1946(昭和21) 日本国憲法公布
1949(昭和24) 湯川秀樹がノーベル賞を受賞
1950(昭和25) 朝鮮戦争勃発
1951(昭和26) サンフランシスコ平和条約の締結
日米安全保障条約締結
1953(昭和28) テレビ放送開始
1955(昭和30) 高度経済成長期が始まる
1964(昭和39) 東京オリンピック 東海道新幹線開通

昭和40~60年代

職人精神と量産体制の融合

機械化と量産化を求める世の中が訪れると、中尾製作所も創業からの強みである職人精神による企画力や製品精度の追求と、量産化のバランスを取りながら規模拡大を図りました。プレス工場や金型工場、塗装工場を整備するとともに、新工場設立による生産ラインの増大にも着手します。

昭和42(1967)年に販売を開始した中尾オリジナル商品である家具扉のストッパー「ドリームキャッチ」は、西日本で爆発的な売り上げを記録。ひと月の生産量は30万個を超えました。また、家具の扉にマグネットが用いられ始めると中尾製作所も開発に取り組みます。1980年代前半に大手商社と共同開発した「スライドマグネットキャッチ」は、マグネットを装着した扉受けを簡単に前後調節でき、家具の組み立て時の労力や扉のがたつきに容易に対応できる商品として人気を博し、全国各地の家具産地へと出荷されました。蝶番の製作技術に基づく「ヒンジの動き」の熟知が中尾製作所の強みの一つです。世の中の変化とともに求められる商品形態が多様化しても、「動きあるところに中尾あり」を企業の信念として、製品の開発と製造に邁進していきました。

蝶番

中尾の歩み

1969(昭和44) 家具扉のストッパー「ドリームキャッチ」を開発・生産を始める。
1971(昭和46) 津市にプレス工場(高茶屋工場を)設立。資本金3000万円に増資。本社を高茶屋に移転し量産体制を強化する。
1975(昭和50) 津市に金型工場(高茶屋工場)を増築。
1980(昭和55) 栄一の長男・中尾哲也が社長に就任。津市に塗装工場(高茶屋工場)を増築。この頃、「スライドマグネットキャッチ」の製造を開始する。
1985(昭和60) 津市雲出に新工場を設立。
1988(昭和63) 資本金を5000万円に増資。

社会の動き

1968(昭和43) GNPで日本が世界2位となる
いざなぎ景気
1972(昭和47) 沖縄の本土復帰
1973(昭和48) 先進各国が変動為替相場制へと移行第一次オイルショック
1978(昭和53) 成田国際空港が開港
1983(昭和58) 東京ディズニーランド開園
ファミリーコンピューターが発売される
1985(昭和60) プラザ合意
1987(昭和62) 携帯電話サービスの開始
国鉄分割民営化
1988(昭和63) 青函トンネル・瀬戸大橋が開通する

平成時代

家具金物から住宅品への転換

年号が昭和から平成になり1990年代に入ると、住宅事情に大きな変化が訪れました。嫁入り道具に桐ダンスが必須品でなくなるなど、住宅の収納は家具から建て付けの時代へと突入。中尾製作所も柔軟な姿勢で時流に対応する必要に迫られました。そんな状況の中、1990年頃から扉の建付けを蝶番側で左右上下に調整できる住宅扉用の「3次元蝶番」の生産をスタートさせます。取引商社から技術力を見込まれ、世の中のニーズを反映した商社のアイデアを受けて中尾製作所が実現させた商品です。この商品での手応えなどもあり、本格的に住宅建具用の商品開発・生産へと舵を切りました。蝶番やドアノブだけではなく、引き戸関係の商品開発にも力を入れ、社会の要望に応えていきました。

また、グローバル化の世情を受けて、業界で初めて中国へ進出したのも1990年代です。1991年に中国山東省に合弁企業を設立したのを皮切りに、上海でも企業展開を始めました。中国の大手デベロッパーに採用されるなど、販路が広がるにつれてnakaoの品質の高さは中国で注目されるようになります。

中尾の歩み

1989(平成元) 雲出工場を増築。大手電機メーカーの協力工場を始める。
1990(平成2) 住宅ドア用調整蝶番の開発・生産を開始。この頃から、家具金物より建具金物へ本格的に移行する。
1991(平成3) 中国山東省に合弁企業(海陽中尾五金有限公司)を設立。
1995(平成7) 中国上海に独資の商社(上海中尾商貿公司)を設立。
1996(平成8) 中国上海に合弁企業(上海中尾五金有限公司)設立。

社会の動き

1989(平成元) 消費税の開始 ベルリンの壁崩壊
1991(平成3) バブル経済の崩壊 湾岸戦争が勃発
ソ連崩壊
1993(平成5) Jリーグが開幕
1995(平成7) 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件
1997(平成9) 消費税が5%になる
京都議定書の採択
1998(平成10) 長野オリンピック開催

2000年~2025年へ向けて

施設建築や介護用品への進出

「何にでも食いつき、目を向けていく貪欲な姿勢」が中尾製作所の特長でもあります。2000年以降、住宅着工数が減り高齢化が社会問題として浮上してくると、中尾製作所は公共施設をメインターゲットとした商品の開発・製造に着手します。また、住宅の仕様が開き戸から引戸へと移行する流れを受けて、引戸クローザーにも目を向け製造体制を再整備しました。さらに、介護・住設関連の顧客への営業展開も積極的に行い、キッチンや洗面などの金物も多数供給し、扱う商品幅を次々に広げていきました。時代の流れとニーズに合わせて、工場環境の整備(ISO9001取得・2002年)や自然環境への配慮(M-EMSステップ2取得・2007年)にも積極的に取り組んでいます。

家具金物から建具金物、介護・住設関連の部品と時代のニーズに応じて力点を置く商品は変わってきましたが、根底にあるのは創業時の職人精神にあります。技術革新に一途に取り組み、「もの作り」を追求していく――。この姿だけはこれから先も変えずに、中尾製作所らしく進んでいきます。

引戸クローザー

中尾の歩み

2001(平成13) 栄一の三男・中尾真也が社長に就任。
中国上海に独資企業(上海恩斯五金有限公司)を設立。
2002(平成14) 中尾製作所ISO9001取得。中国海陽中尾五金有限公司ISO9001取得。
2004(平成16) 名古屋営業所(愛知県名古屋市)を設立。この頃より住設関連の顧客を増やし始める。
2005(平成17) 栄一の四男・中尾修也が社長に就任。
2007(平成19) 中尾製作所 M-EMSステップ2(京都府、三重県などが推進する環境システム)を取得。
2008(平成20) 東京営業所(東京都千代田区内神田)を設立。
2012(平成24) 雲出工場を増築。
2014(平成26) 栄一の孫(哲也の長男)・中尾泰之が社長に就任。

社会の動き

2001(平成13) アメリカ同時多発テロ事件
2002(平成14) 2002FIFAワールドカップが開催
2005(平成17) 郵政民営化
2008(平成20) リーマン・ショック
2009(平成21) 裁判員制度の導入
2011(平成23) 地上デジタルテレビ放送
2012(平成24) 東京スカイツリーの開業
2014(平成26) 消費税が8%になる
2015(平成27) 北陸新幹線の開通