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7 nakao PRODUCTS CATALOG初代・中尾栄一中尾製作所の歴史は、初代・中尾栄一が大正時代に知多半島の大野谷へ金物技術の修行に出た時から始まります。大野谷は常滑市と知多市にまたがる地域で、平安時代から鍛冶職人が数多く住まう場所でした。江戸時代以降は農機具をはじめ、家具金物の生産地として全国に知られるようになります。この地で師匠達に学んだ金属を成型する技術と、道具を丹念に手入れし、基本を大切にするモノづくりの精神は、大正14(1925)年に栄一が設立する「中尾製作所」の根幹として息づき、現在まで引き継がれています。1920年代初代・中尾栄一が知多半島の大野谷に修行へ1925(大正14)年三重県津市にて中尾製作所創業家具用金物の製造販売を開始1934(昭和9)年 家具引戸用設備スエージングマシーンを共同開発1946(昭和21)年津空襲で全焼した工場を再建家具金物製造業を再開1969(昭和44)年家具扉のストッパー「ドリームキャッチ」の開発・生産1971(昭和46)年津市にプレス工場(高茶屋工場)を建設本社を高茶屋に移転し量産体制を強化する出身地である三重県津市に戻り「中尾製作所」を開いた初代・中尾栄一は、嫁入り道具の必需品だった桐ダンスの蝶番や引手、金飾りなど、家具金物作りを精力的に始めます。販売面では金物商社を営む修行時代の仲間が栄一の力になってくれました。丁寧な仕事ぶりで評判を呼び、中部地方だけではなく、当時、金物産業の中心だった大阪にも「中尾の金物」は出回るようになります。昭和9(1934)年には地元の鉄工所と協働で、金属を伸ばしてタンスの引手を成型する機械「スエージンググマシーン」を作成。多い時で月に何十万本という引手を生産し販売しました。この頃から「スライドマグネットキャッチ」の製造を開始スエージングマシン1980(昭和55)年津に塗装工場(高茶屋工場)設立1985(昭和60)年津市雲出に新工場を建設1989(平成1)年雲出工場を増築。ODM/OEMの生産体制を強化終戦後すぐに栄一は子供や従業員らと力を合わせ工場を再建。家具金物の生産を通じて日本の復興に尽くしました。 昭和24(1949)年には中尾製作所を株式化し、経営と生産体制を整えます。当時の主力商品は仏壇用の蝶番です。きめ細やかな加工とヒンジの動作性を追求する姿勢が業界内で認められ、ピーク時には月に100万枚も出荷されました。日本が敗戦からの復興を遂げ、経済大国への道を歩み始めた昭和30年代、中尾製作所でも栄一の長男が後継ぎとして家業に加わるなど若い人材も増えていき、新たな段階へと進むことになります。和家具引出釻1990(平成2)年住宅ドア用調整蝶番の開発・生産を開始この頃から、家具金物から建具金物へ本格的に移行1991(平成3)年中国山東省に合弁企業(海陽中尾五金有限公司)を設立以降、中国上海を中心にアジア商圏での製造販売を拡張1992(平成4)年調整丁番 販売開始1995(平成7)年中国上海に独資の商社(上海中尾商貿公司)を設立1996(平成8)年中国上海に合弁企業(上海中尾五金有限公司)設立平儀星蝶番・仏具蝶番大正の創業期鍛冶金物の産地で養ったモノづくりの精神 昭和初期の躍動修行時代の仲間とともに商売を確立戦後の昭和復興期本業を再開し日本の復興に尽力大正・昭和・平成・令和  四時代をまたぐ中尾の軌跡1920−7019801990

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